随想「マーケティングとデータ解析」

第8回 学生教育の現場

朝野熙彦
中央大学客員教授

本連載では、これまで私が企業のビジネスを成功させるためにお手伝いをしてきた実務経験を披露してまいりました。産業現場では日々困難なマーケティング課題が発生しています。それに対して自分がたいていは泥縄式で対応してきたという随想です。しかしながらSAS JapanのWEBサイトにおいて、本エッセーは教育系に位置づけられています。具体的にいいますと、SASのホームページから業種別ソリューション⇒教育機関⇒教育の現場から、というメニューをたどると掲載ページにたどりつきます。このサイトマップの構成にそって、たまには教育の現場についても書いた方が良いのではないかと思い立ち、今回は学生教育の想い出話しをしようと思います。

1.論文不正疑惑の問題を教訓に

先日、STAP細胞の論文がマスコミに大々的に取り上げられ、その後彼らの論文に対する不正疑惑が指摘されて世間を騒がすことになりました。科学的な研究がマスコミに報道されること自体が珍しいのですが、さらに論文執筆における捏造と改ざんという、いわば研究活動のダークサイドが社会の方々の耳目に触れることになった、という意味で稀有の出来事でした。

一方、統計学の世界では歴史的にも有名な論文改ざん事件がありましたし、ネイチャー掲載論文の取り下げもこれまでに数千件は発生しています。先進的な研究であればあるほど間違いは起きるものです。ミスを恐れていたら学問は進歩しません。今回の機会に乗じて研究の管理体制をさらに強化して監査書類の山を築こうというたくらみは困ります。角をためて牛を殺すことは避けるべきだと思います。

今回、衝撃的に受け止められたのは科学研究の無謬性を信じていた一般の方々であって、研究者にとってはそれほどの大事件ではなかったのかもしれません。これまでにも研究者が自らの過去の論文の欠陥を発見して改訂を行い、研究を一段と発展させた、という例はいくらであります。誤りの発見は悪いことではなくむしろ望ましいことでしょう。科学の理論はある時点において相対的に優れた理論ではあっても、将来も塗り替えられることのない絶対的な真理であるかどうかは何ともいえないと思います。

さて、今回の疑惑に対するマスコミの論調の中には論文作成者だけを悪者にするものもあります。もちろん研究者は高い研究倫理をもつべきですし、そういう正論に対しては異論を唱えようがありません。

しかしながら今回渦中となってしまった研究者自身も小学校から大学院に至るまで学校教育を受けて育ったはずです。では学校の教員側に教育の責任はないのでしょうか。決してどこかの大学の誰かを責めようというつもりはありません。自分自身が大学教員の一人ですので今回の事件を他山の石として、自分自身はこれまで学生をきちんと教育してきたのだろうか?と振り返ってみようということです。特に、今回問題になった論文作成におけるコピペ(copy & paste)にどう対処してきたかについて次節以降でお話ししましょう。

2.学生教育のマネジメント

■ 情報処理教育を担当した時代

私が某大学に赴任した頃のことです。大学からはいきなりたくさんの補助的な業務が割り振られました。そうした仕事の一つに情報処理教育がありました。毎回100人以上の学生を相手にしてPCの電源の入れ方とか、学内LANへのログインの仕方とか、SASのようなアプリケーションの起動の仕方などの導入教育をしたものです。「情報リテラシー」といわれる分野ですね。

私はそれまで情報処理の教育をした経験がありませんでしたが、素人だからといって断ることができないのが大学というものです。

しかたがないのでPCの操作が私よりもはるかに上手な学生さんにTA(テーチング・アシスタント)をお願いして、何とか勤めを果たしました。この時に有難かったのがPC教室に導入されていた教育支援ツールでした。ふつうなら授業への出席やレポートの提出を正確に管理するのは一仕事なのですが、赴任した大学は情報処理教育が格別に優れた大学でしたので、そういうマネジメントは全てコンピュータが自動処理してくれました。

■ 専門教育での成績の付け方

より苦労をしたのが自分の担当であるマーケティング関係の専門教育でした。情報処理教育ではきちんと計算すれば正解が出るような課題を出していましたから簡単といえば簡単でした。しかしマーケティングではそのような単純な問題は扱いませんので、成績評価が難しくなります。

カンニングを防ぐ狙いもあって記述式の筆記テストを出しましたが、なにしろ答案が文章ですから採点に苦労しました。

たまたま私が受けもった科目が卒業年次の選択必修だったために、ずさんな採点が許されるはずもなく、本当に真剣に採点したものです。400人以上の答案を採点した年度もあり、とても時間のかかる重労働でした。

当時は手書きが普通の時代でしたが、論文疑惑問題のケースと絡めていいますと、書籍から丸写しする一種のコピペの答案はすでに出始めていました。

マーケティングは斬新な課題設定能力と創造性が求められる科目です。まさに現在の日本の成長戦略にぴったり適合した科目なのです。ですから教科書を写していたら教育の価値はありません。仮に教科書に書いてあることが正しいと学生が信じたとしても駄目なものは駄目です。求められていることは板書を写したノートを暗記することではなく、自分自身のオリジナルなアイデアを創造して、それを論理的に提言することなのです。

丸写しと暗記では評価しないよと学生に注意したところ、そんな注意は初めて聞いた、今度の先生はすごい変人だと学生から驚かれたようです。

さて自分の教育理念にそって、とかく学内にはびこる先輩から後輩への互助システムに逆らって「暗記力」では通用しない試験を実行すべく、次のような手を編み出しました。

  • 【A】同一の教科書を継続採用しないこと。学生の在学期間を考えると3年間は同じ教科書を使わなければ大丈夫です。
  • 【B】ノートの使いまわしができないように講義内容を毎年変える。すると先輩が作ったノートをコピーしても役に立ちません。
  • 【C】 いうまでもないことですが試験問題を毎年変える。

その結果、私の講義は単位が取りづらいという悪評が学生の間であっという間に伝わり、厳しい先生だという評価が定着しました。まあ単位を出すのが教師の務めではなく、しっかり学生教育をするのが本来の務めだと割り切って、学生の間での不人気ぶりについてはあきらめることにしました。

3.SASをゼミの共通言語に

■ 入ゼミ試験

私が所属することになったのは文系の学部でした。当時は数式が出てくる統計学やコンピュータを使った勉強を苦手にする学生も中にはいました。近年では、文系だからといってコンピュータは出来なくて構わないと考える学生は少数派でしょう。

そこで自分のゼミ生の選考にあたっては、ゼミの共通言語をSASにすることを宣言しました。もちろんゼミ面接をすれば、これからは喜んでSASを勉強しますなどと志望者は答えがちです。嬉しい回答なのですが、私は調査が専門なだけに、そうした回答の信ぴょう性については、人一倍疑り深いのです。そこでゼミ志望者にはSASの実技試験をすることを予告して、それをパスしたらゼミに本採用することにしました。

そういうわけで、ゼミ生はいきなり真剣にSASを勉強しなければならない羽目になりました。SASは高級言語ではなく汎用ソフトですから、最初のハードルさえ越えれば、後はどんな分析でも簡単に出来てしまいます。

■ SASの教育使用の実際

ゼミ活動を円滑に進めるために、ゼミ生自身の手によって「SASデータ解析マニュアル」をまとめてもらいました。その内容は、外部で作ったデータファイルをSASに読み込んで、簡単な統計分析をするまでが第1章です。それがまさに入ゼミ試験の内容でした。2章以降では多変量解析の中から、ポピュラーな重回帰分析、因子分析、コレスポンデンス分析とコンジョイント分析をとりあげてSASのコーディング法とアウトプットの読み方を解説しました。

ゼミの3年生研究や卒論でもSASを使うことを義務づけて、研究成果は積極的に学外で発表するように指導しました。たとえば1999年の日本SASユーザー会では朝野ゼミ生の論文が世話人会特別賞を受賞しました(図1)。「尺度の最適変換を伴う回帰分析の適用事例」という研究です。発表したゼミ生たちは大感激で、ゼミ活動のとても喜ばしい記念碑となりました。世話人会の諸先生方、ご評価いただき有難うございました。


図1 世話人会特別賞の賞状

入ゼミ時の苦労などはすぐに報われるものです。ゼミ生の中には学外から頼まれてSASユーザーのサポートに行く人まで出てきました。また中にはアルバイトとして某企業に斡旋したところ、在学中にスカウトされて入社してしまった学生もいました。

SASを使った情報処理で自信をつけていると就職活動でも役立ちます。私のゼミ生の中には、入社試験の時に面接官に「君はEXCELは出来るかね?」と聞かれて、憤然として「そんなこと当たり前じゃないですか!」と答えて即採用になった人がいます。迫力勝ちだったのでしょうね。

4.コピペへの対応

■ レポートにおける不正行為

コピペに対してどう対処するかは大学によって対応が違うかもしれません。私が奉職した某大学では期末試験で他人の答案を写すことは不正行為であり、退学処分にするという学則がありました。ではレポートならどうかというと、レポートは筆記試験に準ずるものという位置づけですので、コピペをすれば同じく退学です。

原則はそういう規定なのですが、実際問題としてレポートは学生が教室外で書いてくるわけですから、コピペが正確に発見できるのか?という心配が発生します。次の2パターンが考えられます。

  • (パターン1)学生同士でレポートを写しあう
  • (パターン2)学生が各自で、WEBや書籍から文章を写す

パターン1はゼミや少人数の専門教育ならば先生がレポートを読めば発見できるでしょう。しかし大人数の講義の場合は正確性に自信が持てません。

ところが、その後のことですが情報処理に詳しいある先生が、レポートの複製をチェックするソフトをご自分で開発されました。レポートはWordやテキストファイルで提出させることが前提になりますが、文章の一致を自動的に照合するソフトです。これなら履修者が多くても大丈夫です。

次にパターン2はコピー元が電子化されていないと困難なのですが、WEB上で公開されている論文であれば、それと照合してコピペを検出するソフト(CROTなど)が既に開発されてサポートされています。その一方で、いくつかのキーワードを入力するだけで論文を自動作成するソフト(SCIgenなど)も開発されています。後者で作られた論文を前者でチェックしたらどういう結論が出るのか?私はその結論は知りませんが、せちがらい世の中になったものです。

■ あらためて論文不正疑惑問題

今回の問題の一つの波及効果を指摘するなら、研究者の本来業務について社会の認識を深めていただく機会になったことがあげられるでしょう。

研究の成果は論文によって初めて評価されるものだ、というアカデミズムにおける常識が、その是非はともかくとして広く知れわたることになりました。論文というものは結論さえ正しければOKなのではなくて、執筆の作法が厳しく問われるのだ、ということも知られるようになりました。また「査読」などという私たちの業界用語が報道を通じて広く知られるようになりました。

大学の教員は教育と研究の両方が本務ですので、授業さえしていれば務めを果たしたということにはなりません。ですから授業をしていない時間には、たいていの教員は自分自身で論文を執筆しているか、あるいは他の研究者が書いた論文の査読を行ったり論文誌の編集作業をしているのです。とかく大学の先生は暇人のように誤解されがちですが、それは偏見というものです。外部からは見えづらいかもしれませんが、教員の日常はとても忙しいのです。