随想「マーケティングとデータ解析」

第1回 行き当たりばったり半生記

朝野熙彦
中央大学客員教授

1.正直に自己紹介

このたび光栄にも、STN(SASテクニカルサポートNews)への連載を仰せつかりました朝野です。大学ではマーケティング・サイエンスとマーケティング・リサーチを講義しております。真面目一辺倒のSASテクニカルニュースの中で、リラクゼーションのための唯一のコーナーを担当したいと思います。読者の皆様にお楽しみいただければ幸いです。まず今回は私の行き当たりばったりの半生記から始めて、連載をスタートさせてください。

本誌前号の春2012を読みますと、私の尊敬する新村先生が社会人第一歩の時代を書いておられました。さすがに一流の研究者だけあって20代でいきなりライフワークに出会い、その当初から研究上の問題意識を明確にされ、20代にして独自の提案を発表し始めたとのことです。自分自身と比べるとどこにも共通点がなく恥ずかしい限りですが、ただ一つ「たまたまの偶然」が人生を決めた、という点だけは私も共通していました。

私は大学時代、将来何をしたいという意欲もなく、そもそも実社会に出るのが嫌でゴロゴロと過ごしていました。スキーとギターだけはしっかりやりましたが、生産的なこと、自分の将来に役立つことは一切しないという牧歌的な気質の学生でした。三つ子の魂百までも、この性格は今でも変わっていません。

さて、就活もしないまま4年の夏休みに入った頃のことです。あるマーケティング・リサーチの会社が求人しているという情報を、客員教授の先生が知らせてくれました。その時期になっても志望業種が決まっていなかったというだけの理由で、私が受験することになりました。それがマーケティングの世界に私が入るきっかけになったのです。大学ではマーケティングなど習ったことがありませんでしたし、調査もしたことがないので、マーケティング・リサーチという仕事は面白そうには思えなかったものです。

入社試験には英文和訳の問題が出ましたが、英文の中に消費者という単語が出てきました。前後の脈絡からしてコンソメでは意味が通じないなあ、と困ったことを覚えています。試験は出来なかったのに合格でした。後から合格の理由を聞きますと「人手不足なので誰でもよかった」という話でした。入社試験はただのセレモニーだったのですね。

2.仕事との幸せな出会い

さて、たまたまの偶然で入ってしまったマーケティング・リサーチ会社でしたが、そこでは1年目から営業の仕事をさせられました。企業を回って歩いて、何かマーケティングでお困りのことはありませんか、調査でお手伝いしましょうか、と聞いて回る仕事です。調査企画といえば聞こえは良いのですが、要するに御用聞きですね。もちろんマーケティングで困っていない会社などあるはずがなく、いろいろとご相談を受けました。いろいろといっても一言でいえば「自分が担当するビジネスを成功させて会社が儲けるにはどうしたらよいか」につきます。依頼先の企業は、どうしたらよいかが分からないから相談しているのですから相談されるのは前例のない難題ばかりです。会社に戻って社長に案件を報告しますと、それは自分で解決してよ、という返事です。指示もなければアドバイスもありません。「社長でできるくらいなら社員は雇わない」という誠にもっともな理屈です。これが私にはとても嬉しかったのです。

前例のない新しいマーケティング課題に応えるハウツーマニュアルなど存在しません。だから自分の頭で考えて解決するしかありません。それが規則と有職故実の嫌いな自分にぴったりだったのです。私が就職したのは、老舗の調査会社でしたが、それでも規模的には間違いなく中小企業でしたので、ごく少人数の社員がそれぞれ個人タクシーのように独立して仕事をしていました。調査という仕事は調査企画にはじまり調査票の作成、調査の実施、データの集計、そしてレポート作成とお客様への報告、という一連のプロセスを経るのですが、小さい会社なものですから、担当者が全ての仕事を一人でやることになります。今日、企業らしくなった一部のリサーチ会社では仕事を業務別に分担していると聞きます。その方が経営的には効率が良いのでしょうが、一人の人間が一つの仕事を一貫して行うのは、個人にとって貴重な経験になります。最近、生産管理でも単一工程単能工から複数工程多能工への移行が試みられているそうです。

そういうわけで、学生時代には何の関心もなかったマーケティング・リサーチでしたが、仕事をしてみると実に面白くエキサイティングでした。面白いということは易しいとか楽だという意味ではありません。その逆で悩ましい課題ばかりで、時には顧客のビジネスを助けてあげられなかった失敗もありました。勝ち戦のマーケティングだとマスコミで喧伝されがちですが、その舞台裏には負け戦が山のように隠れています。その負け戦のいくらかでも勝ち戦にもっていくか、せめて傷を少なくするかに腐心した日々でした。私は幸いなことに在職中にたくさんの難しい仕事に恵まれました。テーマパーク、住宅、家電品、飲食料品、日用雑貨品、ペット用品などいろいろな商品を手がけました。企業秘密のためにあまりオープンにはできませんが、悩みどころの一端なりとも今後紹介させていただきます。

3.会社員時代のアフターファイブ

次は会社員時代の時間外の話です。調査企画や集計分析の仕事を通して、自分にはマーケティングの知識とデータ解析の能力が無いことは明確に自覚できました。学生時代に勉強をしなかったのですから当り前です。その当時勤務先には社員教育の体制がありませんでしたので、細々と独学で勉強をすることにしました。

たとえば大学入試センターを会場として昭和61年から月例会が開かれた多変量解析研究会がありました。これは多変量解析の権威である柳井先生を主催者とする全くの私的な研究会でした。岩崎先生(現、日本統計学会理事長)、岡太先生(現、日本行動計量学会理事長)などそうそうたる先生方が研究発表をされていました。内容は難しくて私にはちんぷんかんぷんでしたが、夜間に開かれた研究会でしたので、会社員の私でも参加することができました。

また当時東大の片平先生から、温泉旅行に誘われたこともあります。確かに温泉は好きなので、遠慮もせず伊豆にお供しました。同好の士だという人達が10人くらい集まって、飲んだり騒いだり、という結構な集まりでした。温泉旅行はその後何年も続きました。そのうち、その温泉旅行は実は某学会の研究部会の活動であったことに気付くのです。メンバーはマーケティング分野で有名な先生方でした。飲んでいたのは研究上の思索を深めるためであり、騒いでいたのは互いの研究について真剣に議論を交わしていたのであり、温泉につかっていたのは将来の研究構想を練っていたのだ、という説明もできなくはありません。しかし当時の私にはただ飲んで騒いでいただけとしか思えませんでした。もちろんそれで文句はありませんが。この温泉旅行がマーケティング・サイエンスの世界に私が入るきっかけになったのです。マーケティング・サイエンスには分かりきった知識などほとんどなく、一方で未解決の問題なら山のようにある刺激的な分野だと感じた次第です。

4.イーカゲン男の人生訓

その後、研究らしい研究もしていないのにある大学に呼んでもらうことになりました。会社員としての楽しい仕事と高給優遇の身分を捨てるのは残念でしたが、好奇心が勝って転職してしまいました。大学に移ってみると教員の仕事は傍目で想像していたよりも忙しく、雑用もたくさんあって驚きました。しかし自分が選んだ道ですので、愚痴を言うべきではありません。愚痴ではありませんが、怠け者で無計画な自分自身が得た教訓があります。

(1)幸も不幸も受け止め方次第

大学生は就職先として有名な大企業を志望する人が多いようです。たぶんその傾向は昔も今も変わらないでしょう。私自身は全く有名でない中小企業に就職したのですが、それが不幸だとか不運だとは感じませんでした。当時の就職先には、部下を懇切丁寧に指導してくれる上司もいませんでした。しかし、それがかえって幸いでした。自分でやらなければ何も始まらない、という社会人としてもっとも大切なことを学んだからです。

(2)勉強はいつスタートしても遅くない

これは、学びに終わりはないという意味です。もちろん、大学時代からしっかり勉強していて悪いことはありません。しかし社会に出てから初めて勉強の必要性に気付いて勉強を始めるのも素晴らしいことではないでしょうか。近年では働きながら学べる社会人大学院がいくつも出来て、そこでは経営学やマーケティングの高度な実学を学ぶことができます。私もビジネススクールの一教員ですので志ある諸姉諸兄の入学をお待ちしています。

(3)行き当たりばったりで構わない

自分自身のことを振り返ると、他人に人生を計画的に生きろ、などとはとうてい言えません。常に筋書き通りに進むことは良いことなのでしょうか。逆に想定外の事態が起きた時の対応力が心配になります。予定調和からはずれてしまった時にこそ新鮮な発見が生まれるでしょうし、リスクマネジメントも必要になります。人生など紆余曲折が当たり前だと思います。

5.マーケティング・データの特徴

マーケティングで扱うデータには次のような特徴があって、伝統的な統計的手法がストレートには使えません。次回以降の予告編の意味で、3つだけ問題点をあげておきます。

(1)要因がコントロールできない

Yが結果でXが要因、Zが余分な変数だとします。フィッシャーの実験計画法では、Y=f(X)というモデルにおいて実験者がXを割り付けることができ、Zは一定にしたり無作為化するなどして、その影響を除去することができました。それはフィッシャーが麦の品種や肥料の種類をXとして割り付けを行い、農作物の収穫量Yの変動を観測したからです。したがって要因Xには誤差は含まれません。ずばり実験計画法と分散分析が活躍できる研究課題でした。

一方マーケティングではYをブランド選択だとか製品の購買量といった市場反応にとります。もし仮にYの要因Xが何であるかが分かったとしても、それを企業がコントロールできるのでしょうか。消費者の性別や収入などを企業の都合がいいように変えることはできません。また交絡する余分変数を除去することもなかなか困難です。消費者行動の原因と結果の法則性はどうやって明らかにすればよいのでしょうか。

(2)観測変数は名義尺度か順序尺度

これもマーケティングらしい特徴です。コミュニケーション活動やプロモーション活動の狙いは何でしょうか。それは自社の商品を、消費者の知名集合や選択集合に入れてもらうことであり、さらには他社と比べて選好順序を高めてもらうことです。前者は名義尺度で後者は順序尺度です。あなたが飲む可能性があるビールは何ですか?Aビール、Bビール、Cビール。それではあなたの好きな順はどうなりますか?一番好き⇒Bビール、2番目は⇒Aビール、3番目は⇒Cビール。

これらのデータには尺度の単位が存在しないので、データに対して4則演算が適用できません。分散も積率相関も計算できません。計量的なデータを前提にして作られたデータ解析法は利用できない、という問題が出てきます。

(3)文脈依存性

観測値が独立で同一の確率分布に従わないようなデータが多いのもマーケティング・データの特徴です。たとえば、グループ・インタビューの発言を考えますと、AさんBさんCさんの発言は、お互いの発言内容が依存関係にあって独立ではありません。個々の発言を抜き出して単独に解釈することはできませんし、座談会の第1グループと第2グループの発言をプールして集計することも意味がありません。このような文脈依存性の高いデータをどうやって統計解析すればよいのか、難しい問題です。

冒頭に述べましたように、私は行き当たりばったりの人間ですので、今後の執筆予定もあてにはなりません。今念頭においているのは、次のような内容です。

  • 統計学の独習記
  • 因子分析と主成分分析を区別しよう
  • 主成分への回帰とは何か
  • 特異値分解の面白さ
  • SAS/IMLについて
  • SASの魅力はどこにあるか
  • コンジョイント分析の応用
  • マーケティングにおけるデータ解析の悩み
  • プレゼンテーションのしかた
  • クリエーターとリサーチャーのバトル
  • ネット上の統計情報ソース
  • 分析データはどこにあるか
  • グラフを使ったトリック
  • データを用いた我田引水

【略 歴】
千葉大文理学部卒業後市場調査会社に就職、埼玉大大学院修了、千葉大・筑波大講師、専修大・都立大・首都大教授を経て多摩大学大学院客員教授。学習院マネジメントスクール講師、日本マーケティング・サイエンス学会論文誌編集委員、日本行動計量学会理事。

主な著書に『アンケート調査入門』東京図書(編著)、『最新マーケティング・サイエンスの基礎』講談社、『Rによるマーケティング・シミュレーション』同友館、『入門共分散構造分析の実際』講談社、『魅力工学の実践』海文堂出版、『入門多変量解析の実際第2版』講談社、『新製品開発』朝倉書店(朝野熙彦・山中正彦著)などがある。